突然のお知らせになってしまいましたが、きのう、6月21日金曜日、しなもんが永眠しました。
そして今日、6月22日土曜日の午後、比叡山の山すそにある葬儀場でしなもんは白い骨になりました。
亡くなった日の夜と翌日の午前には、はてなの仲間を中心に、たくさんの人たちがお別れをしに我が家を訪れてくれました。
来れなかった人もたくさんの温かいお別れの言葉を贈ってくれました。
ネットでご報告するのは、ひととおりの儀式をすませてからにしよう、とjkondoと決めていました。
そしていま、ご報告します。
しなもんは、たくさんの人たちに見送られ、愛情と共に旅立ちました。
しなもんが生きていたもうひとつの世界、インターネットでたくさんの愛情を注いでくれた、ここ、「しなもん日記」に来てくれていたみなさんへ。
今まで、しなもんを愛してくれて、本当にありがとうございました。
しなもんが旅立つまでの経緯です。
前回のエントリー「好きな路地」を書いたのが、月曜日の朝でした。
そして最後にお散歩をしたのが、紫陽花が輝くように咲く水曜日のことでした。上の写真はそのときのものです。
木曜日は一日雨でしたが、朝、散歩がわりに庭に出て、ひとしきりうろうろと歩いて自分の足で家に入りました。
元気に歩いたのはそれが最後。木曜の午後、後ろ足がきかなくなって、歩けなくなりました。
とてもしんどい様子で食欲もなく、いつもたくさん飲んでいた水すら口にしなくなりました。
夜、息子を寝かしつけようと2階に上がると、下から「キューン」と鳴き声が聞こえました。
ほとんど鳴いたことのないしなもんが、とても辛そうな声をあげていました。
階下にいくと、立ち上がろうとしても上半身以外は動けず、ベッドの上でもがく姿がありました。
その夜は、しなもんのベッドの横にふとんを敷いて、添い寝しました。
私が背中をさすると、少し落ち着いた様子で眠りにつくしなもん。でも、30分ほどするとまた起き上がろうとして失敗し「キュウン」と鳴く。
夜中じゅう、その繰り返しでした。
朝、疲れ果ててぐったりとなったしなもんを急いで動物病院に連れていきました。
血液検査をしたら、血糖値が下がり、腎臓に関わる数値がこれまで以上にひどくなり、白血球の数がとても上がっていました。
なんとか元気を取り戻すためにできることは、もはやブドウ糖液の点滴を打つことしかない。
お医者さんのすすめにしたがい、点滴をしてもらうことにしました。
病院のきまりで付き添いができないため、しなもんを入院させ、私はいったん仕事に出ました。
「元気を取り戻したら、夕方に迎えにきます」そう言って、病院をあとにしました。
そしてその電話は午後2時58分になりました。
「しなもんちゃんが吐いて、かなり危ない状況です」
職場をあとにし、jkondoに連絡をとり、急いで病院にかけつけました。
病院に到着したときには、しなもんは息をひきとっていました。お医者さんが電話をくれた5分後だったそうです。
今年の3月、急に体重が減って体力が落ちてしまったしなもん。
近所の犬仲間の紹介で、検査や診察がしっかりしているという今の病院を教えてもらい、検査を受けたところ、老齢にともなって腎臓の機能が相当落ちていると診断されました。
人間だったら人工透析する必要があるほどです。今から健康な腎臓を取り戻すことはできないですが、体の毒素をなるたけ輩出するために点滴を定期的に打てば、少しはラクな日々が送れるでしょう。
そんなわけで、多いときは週に二回、最近は落ち着いて週に一回、点滴を打ってもらいに病院に通うようになりました。
急激に減った体重は取り戻せませんでしたが、衰弱した体はその後徐々に体力を取り戻し、おぼつかない足どりながら、ブログで書いていたように朝晩の散歩をこなせるようになりました。
でも、しなもんにとってはやっぱりとてもしんどい日々だったのだと思います。
気温の変化が激しく、湿度が上がってきた6月。しなもんの体調の変化が激しくなってきました。少しずつ食べられるご飯の量が減って、散歩の途中で道に寝そべって休もうとするときが増えました。
そして今週、水曜日の散歩を最後に、しなもんはたくさんたくさん歩いてきた(若いときは走って走って走ってきた)15年と8ヶ月の日々に幕をおろしました。
本当に、何よりも散歩が好きで、人が好きな犬でした。
走れるときは、とにかくボールを追いかけることが好きで、投げても投げても、一度へたばってもすぐに復活し、ずっとずっと歩いてボールを追いかけ続けたい、そんな犬でした。
歩けなくなったことは、しなもんにとって、本当にショックな出来事だったのでしょう。
「No walk, no life」。心の中でそう叫んだのかもしれません。
しなもんは歩けなくなってから、たったの一日で生涯を閉じました。
jkondoと共に病院で引き取ったとき、しなもんの表情はとても辛そうでした。
犬はなかなか人間のように死んだあとに目が閉じないらしく、その見開いた目と食いしばった口が険しくて「ああとても苦しかったんだなあ」と思いました。
けれど、家に戻って、愛用していたふとんとタオルに体を横たえて、しばらく一緒に過ごしたそのあと、しなもんの表情は写真のようにとても穏やかになりました。
その夜、最低限、知らせることのできる人たちに連絡をとって、ささやかなお別れ会をひらくことにしました。
しなもんのことをとても可愛がってくれたid:kiyoheroが窓口になってくれて、たくさんのはてなのメンバーがしなもんとお別れをしに我が家を訪れてくれました。
色とりどりの花、食べもの、お酒などを抱えて来てくれた仲間たち。
テレビ画面に映し出された、元気な頃のしなもんの写真のスライドショーをみんなで眺めながら、思い出話に花を咲かせました。
はてな創業前にjkondoが打ち込んでいた自転車の仕事で出会った人たちも、やってきてくれて、お別れ客は深夜まで続きました。
来れなかった人からも、いくつものメッセージや花が届きました。
たくさんの花に埋もれて眠るように横たわるしなもんは、気付いたらムクッと起き上がってくるような、それぐらい自然な寝姿でした。
翌日の午前中も、近所の子どもたちや引き続きはてなのメンバーや、jkondoの両親が来てくれて、しなもんとの別れの時間を過ごしました。
そして今日の午後1時すぎ、左京区の北白川ペット霊園でしなもんの火葬がおこなわれました。
何度もドライブ旅行で通った「山中越え」と言われる峠道の途中にある葬儀場。
しなもんの姿が焼き場の中に消えたすぐ後、雲が切れてさあっと太陽の光が差しました。久しぶりの日差しでした。
焼き場からゆらゆらと上がるかすかな煙を眺めながら、しなもんの好きだったテニスボール(本当は一緒に焼こうと思ったけど、ゴム製品はNGと断られたもの)で息子とキャッチボールをしながら過ごしました。
40分後、骨になったしなもんが戻ってきて、みんなでお骨拾いをしました。
礼儀正しい葬儀場のスタッフの男性が、ひとつひとつ丁寧に部位を説明してくれて、「こんなにきれいな形で喉仏(のどぼとけ)が残りましたよ」と、小さな白いかたまりを見せてくれました。本当に仏さまが手を合わせているように見えました。
そしてしなもんが息をひきとってから24時間が経過した今日の午後3時、骨壺に入ったしなもんが我が家に戻りました。
その後、しなもんが死ぬ直前までぞっこんだった柴犬のはなちゃんの飼い主さんがお花を届けてくれました。
最後の散歩の日の朝も、はなちゃんとすれちがったしなもん。4才のはなちゃんは、しなもんの分までこれからも元気に歩いてくれるでしょう。
しなもんはたくさんの人に愛されて生きることができました。
持ち前の明るい性格で、愛嬌たっぷりの体つきで、人なつっこさで、モフモフの毛で、クリクリの瞳で、たくさんの人から愛情をもらい、愛情を返し続けた日々でした。
ゆっくりと歩くしなもんの姿を見て、「がんばれ」と声をかけてくれた近所の人たち。
会長、会長としなもんのことを折りにふれて可愛がってくれたはてなの人たち。
里帰りするたびにしなもんの面倒をみてくれて、たくさんたくさん散歩に連れていってくれた夫婦それぞれの両親やjkondoの妹、私の姉とその家族たち。
我が家に来るたびにしなもんをなでてはなめられ、なめられては喜んでいた友人たち。
京都で、東京で、アメリカで、しなもんと私たちを支えてくれた恩人たち。
そしてネットを通して、しなもんの姿を見ることをとても楽しみにしてくれて、しなもんのことをいつも応援し、温かいメッセージを送ってくれた人たち(いま、これを読んでくれているあなたです)。
しなもんほど、こんなに愛された犬はほかにいないし、こんなにたくさんの人に愛情を届けた犬も他にいない。そう、胸をはって言えます。
本当に、今までありがとうございました。
しなもん日記は、今日をもって、いったん終了します。
いつかまた、飼い主がしなもんとの日々を静かに思い返し、しなもんと過ごした15年間をひとつひとつふりかえることができるようになったら、またそのとき、ここに戻ってこようと思います。
みなさん、たくさんの愛情を、ありがとう。
しなもん、ほんとうにすばらしい時間を、かけがえのない日々を、ありがとう。
どうぞやすらかに眠ってね。
そして、天国で、先に旅立った仲間のわんこと一緒にたくさん走って、ボールを追いかけてね。
さようなら。ありがとう。